THA0004私は補聴器が片時も話せない難聴です。

耳が遠いなと感じ始めたのは50歳の後半でした。道を歩いてる時に、後ろから来る人や自転車の気配を感じられなくなり、これは危険だと感じ始めて自転車に乗ることを止めたのが65歳頃でした。難聴の死角は目で見えない後ろの方です。

その頃、私は僻地とでも言うべき日本に接する事の出来る田舎を「ひとり旅」をする事を楽しみにしていました。歩いたり見たりするだけなく、土地の方の訛りのある話しも聴くのですが、その時に特に耳の不自由さから補聴器の必要性を感じ始めました。

 

最初は出入りの電気屋さんにポケットタイプ製品を持ってきて貰いました。胸のポケットに平たい板状の受信部を入れるスタイルです。何の知識も理解もなく買ったこの器機は役に立ったいう記憶は皆無でした。

次は町の立派な眼鏡店さんの看板に、眼鏡の看板と同じ大きさで補聴器と書いているお店があり、ここなら補聴器も専門だろうと思い相談をしました。聴力のテストをお店のカウンター上でやり、耳掛け式補聴器を「貴方の聴力に合わせておきましたから」という事でその場で購入しました。その後店の前をを通り顔をあわせたこともありますが、「先日の補聴器の具合はどうですか」と言う様な言葉を聞く事は遂にありませんでした、紫外線よけのサングラスを売ったのと同じ程度に補聴器を考えてないと感じた次第です。

この補聴器も役には立ったという記憶もありません。ここの聴力テストは補聴器を売る為の形式的な演出の一種だったのではないかと今でも思っています。

この一件での私自身の反省は「安物買いのゼニ失い」という事です。

 

現在は立川補聴器センターの三代目の好青年・店長さんにご厄介になっているのですが、立川補聴器センターとの出会いは耳鼻咽喉科の先生から「信頼の出来る所を紹介しますから、そこで補聴器を作りなさい」と言われたのが立川補聴器センターの先々代との出会いが始めてでした。

当時は先々代は80歳過ぎで、コンピューター制御の機器を駆使して矍鑠として仕事をしておられ、老いて尚活躍している大先輩の姿に、快い興奮と感激を覚えた事を記憶いたします。その頃の私は70歳代の前半でした。以後10年以上に亘るお付き合いになり、現在の補聴器は3台目に作って頂いたものになります。

 

先日NHKのアナウンサーをしていた友人の手紙に「最近耳が遠くなり補聴器の記事や広告が気になり始めた」とありました。

その後本人にお逢いした時、「補聴器を購入しようと思うなら、どれにしようかと考えるより、先ず第一に信頼の出来る専門の補聴器屋さんを探しなさい。補聴器の選択はその方に任せたら良いのです。」「難聴のパターンは一人一人異なり、個人差があるのですから、やみくもに素人が補聴器を選んで買うのは一番危険な事です。」と申し上げました。

補聴器は買うものではなくて、歯科医に入れ歯を作って貰うのと良く似ております。補聴器は各メーカーが作製したものを使いますが、使うのは人間なので補聴器をその人に一番適合したものを選び、且つ調整して頂く、即ちここで補聴器に生命を吹き込まれることになるのです。

新規に作る時には自分で日常の保管や手入れをすること、年に何回か専門家によるチェック・メンテナンスが必要な事があると心得の中に入れておきましょう。デリケートな精密器機なんですから手放しで使い放しにする訳には行きません。

私の言う「補聴器の専門家」とは、補聴器を介する訳ですが「補聴器によってリフレッシュされたあたらしい耳の主治医」になって頂くんだと考えるべきだと思います。

 

片伊木 照男

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